第7話(最終話) 新たな「愛と青春の旅立ち」へ

その1  ワタクシのセンチメンタル・ジャーニー

うまく言えたかどうかすこぶる怪しいけれど、「あの時、アナタの研究室で、アナタとその学生達と一緒に過ごした時間が、今のボクの研究に対する精神と志向の土台を創ってくれた。多分、ボクがアナタの研究に対する志向や方向性を一番強く、ストレートに受け継いでいる弟子だと思う」と答えました。

研究における師と弟子には、すこし父親と息子の深層(?)心理関係に似ている部分があるように思います。フロイトのエディプスコンプレックスとまでは言いませんが、父親は息子の成長が頼もしくてとても嬉しいけれど、心のどこかには息子が完全に自分と対等になる、もしくは乗り越えるまではどこか息子に負けたくない、簡単には認めたくない気持ちがある。逆に、息子は父親と対等もしくは乗り越える感覚を持つまでは、やや父親を遠ざけたくなる気持ちがある。

ワタクシは実生活では、幼少時代から父親が不在だったし、今も子供はいませんので、そういう父親と息子の関係について、ホントーにそういう深層心理があるのかどうか、経験としてはわかりません。でもなんとなく感覚的に父親と息子、そして師と弟子にも、そういう葛藤のようなモノがあってもおかしくない気がします。

そしてある意味、そのような葛藤の中での成長もまた「青春」の一面と呼べるのなら、ワタクシのセンチメンタル・ジャーニーは、葛藤を乗り越える過程の「青春の一ページ」が終わったことを意味するものかもしれません。

それはつまり、連載を始めて以来、時折、幕之内一歩のリバーブロー(注:『週刊少年マガジン』で連載中の「はじめの一歩」から引用)のように、「ええ歳こいたオッサンが何、青春を賭けてとかほざいとんねん」という心にGUSARIと刺さる批判=真実とも、もうオサラバじゃということ。ふふふ、その通りよ。「青春を深海に賭けて」というタイトルが、まるで「モーニング娘の中でのユーコ・ナカザワ的扱い」を受ける前に、いさぎよく自分で幕を降ろすのだ。さらば、読者諸君!



次回、本編「沖野さんは言った、『それは、アリかもしれない』」につづく

高井 研

高井 研(たかい けん)

1969年京都府生まれ。京都大学農学部の水産学科で微生物の研究を始め、1997年に海洋研究開発機構(JAMSTEC)の研究者に。現在は、同機構、深海・地殻内生物圏研究プログラムのディレクターおよび、プレカンブリアンエコシステムラボラトリーユニットリーダー。2012年9月よりJAXA宇宙科学研究所客員教授を兼任。著書に『生命はなぜ生まれたのか――地球生物の起源の謎に迫る』(幻冬舎新書)など。本誌2011年2月号「人物ファイル」にも登場した。