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ナショナル ジオグラフィック日本版 2013年1月号

未踏の極地へ

  • ブリザードのなか、身をかがめて氷を取りに向かう探検隊員たち。氷を解かして飲み水を作る作業は日課だった。1911~14年の3年間、オーストラリア政府の支援を受け南極探検が行われた。
  • オーストラリア南極探検隊のそりを引いたのは、頑強な体と持久力を兼ね備え、寒さにも強いグリーンランド・ドッグたち。だが、探査に出発した38頭のうち、生還できたのは2頭だけだった。
  • 防寒用の帽子をかぶったモーソンの切手。1961年に、南極探検への出発50周年を記念して発行された。
  • 顔のほぼ全面が氷で覆われた気象学者のセシル・トーマス・マディガン。風速約90メートルに達することもある猛烈な強風と、気温マイナス30℃という厳寒にさらされる南極大陸では、ほんの1時間ほどでこうした“氷のマスク”ができてしまう。
  • 探査中に南極で生まれ、ブリザードと名づけられた子犬。最後まで残った2頭を除き、そりを引く力のなくなった犬たちはすべて殺された。
  • 真新しいスノー・ブリッジ(雪の橋)に覆われたクレバスをのぞき込む探検隊員たち。ダグラス・モーソンが率いる探査班は、いくつものクレバスを越えて進んだが、隊員の一人、ベルグレーブ・ニニスが6頭の犬と貴重な物資とともにクレバスに落ちた。
  • 探検隊員のジョージ・ドーバーズとシドニー・ジョーンズ、アーチボルド・ホードリー(左から順に)。隊員のうち、南極大陸を訪れたことがあったのは二人。雪を見たことがない者も何人かいた。
  • 「グロット(洞窟)」と名づけられた小屋は建設が始まってわずか数日で雪に埋もれ、内部に入るには氷のトンネルを抜けていくしかなくなった。
  • 前ページの小屋から、約2400キロ離れた基地。7メートル四方の居住スペースで、隊員たちは地図を作成し、実験を行い、料理をした。また緊張をほぐすために、レコードを聴き、チョコレートを賭けてギャンブルに興じ、モーソンが本を朗読するのを聞いた。
  • 夏でも容赦なく吹きつける強風のなか、テントを張る隊員たち。風がやまないときは、作業に1時間かかることもあった。探査は、荒天と食料不足、そして遭難の不安と常に隣り合わせだった。
  • そりを自力で引っ張る二人の隊員。東沿岸部の探査を担当する班のメンバーだ。南極大陸の探査は、クレバスや氷の塊、雪が風に吹かれてできた「サスツルギ」と呼ばれる小山に進路を阻まれ、困難を極めた。それでもこの班は、全長約430キロにわたる未踏地の探査に成功した。
  • アデリーペンギンは探検隊の隊員たちやそり犬の貴重な食料だった。ペンギンはまた、格好の退屈しのぎにもなった。隊員たちは崖に立つペンギンにそっと近づいては、海に突き落として遊んだ。
  • 巨大な氷の洞窟を調査する隊員。洞窟はデニソン岬の東端に設営した基地から1.5キロほどの場所にあった。
  • デニソン岬沖に停泊した補給船「オーロラ号」は、母国に帰るための唯一の頼みの綱だった。必死の思いで基地へ戻ってきたモーソンは、オーロラ号がオーストラリアに向けて出航するのを目にした。
  • 悲運に見舞われた南極探査の数年後、ダグラス・モーソン卿はオーストラリア南部のアデレードに展示された探査機材や装備と再会した。
  • 隊員が改良した目出し帽。探検隊は当時最先端の防寒具を備えていたが、手を加えて保温性を高める者もいた。
  • モーソンは重量を減らすためアイゼンなどの装備を捨てたが、急勾配の硬い氷に遭遇すると、写真のような即席のアイゼンを手作りした。
  • 班で唯一生き残ったモーソンは、ナイフでそりを半分に切り、自ら引きながら約150キロ離れた基地を目指した。

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