第4回 終末思想とマヤ文明の崩壊

 そんなわけで、新たな循環に入る記念すべき日は、マヤ人にとって祝うべき日である。2012年12月21日前後の数日間は、世界各国から多くの観光客がマヤ遺跡に入場することが予想されている。そのため、グアテマラ観光省では、ティカルやキリグアなどの遺跡で建造物の保存のため、入場制限をすることになっている。グアテマラだけでなく、メキシコ、ホンジュラス、ベリーズ、エルサルバドルでも入場を制限している遺跡があるのだから、大いなるお祭り騒ぎになることだろう。ここ数日は、ネットでもマヤ暦一巡の話題で賑わうに違いない。したがって、「世界滅亡の日」と騒がれた日は、めでたい日でこそあれ、決して恐ろしい日ではないのだ。

「マヤ文明の崩壊」はなぜ起こった?

 ところで、滅亡と言って思い出されるのは、「マヤ文明の崩壊」と呼ばれる出来事である。よく「マヤ文明は突然崩壊し、ジャングルに埋もれた」と言われるが、あくまでも「古典期マヤ低地南部において都市が放棄された」のであり、マヤ低地北部ではむしろ繁栄していったことを忘れてはならない。しかも、9世紀から100年ほどの長い時間をかけて、都市が次々に放棄されていったのであり、一気に突然マヤ文明が崩壊したわけではない。しかし、どうしてマヤ低地南部の都市は放棄されてしまったのだろうか。

 古典期マヤ文明の崩壊については、これまでも研究者によってたくさんの学説が出されてきた。都市内部で戦争が起こったという考え方、外部から侵入されたという考え方、そして交易ネットワークが変わってしまったという考え方がある。また、都市国家どうしの抗争によって都市がお互い滅びていったという説もある。洪水やハリケーン、地震、かんばつなど環境と関わるものもあげられる。つまり、現在のところ、これが確実な原因だと言い切れるものはない。