第2回 マヤピラミッドの真実

 クフ王のピラミッドを例にすると、東と西に「偽の扉」があり、内部の部屋や階段は左右対称の構造だと推測されている。日の出とともに東の扉からファラオと太陽神の魂が一緒にピラミッド内部に入り、内部で再生し、日没になるとその2つの魂が西の扉から出て太陽に戻り、沈んでいくというのだ。もちろんこれは仮説であり、依然として「王墓」説も主張されている。

 エジプトのピラミッドは、四角錐の「真正ピラミッド」だけではない。クフ王のピラミッドよりも古いものに、サッカラに建てられたジェセル王の「階段ピラミッド」や、ダハシュールに建てられたスネフェル王の「屈折ピラミッド」がある。とは言え、ピラミッドの頂にはほぼキャップストーンが置かれており、極端に外見が異なるわけではない。

覆された「マヤピラミッド神殿」説

 それに対し、マヤ文明のピラミッドには一番上に部屋がついており、神殿として使われたと考えられていた。今から60年前までは、「エジプトのピラミッド=王墓、マヤのピラミッド=神殿」が常識だったのである。だが、マヤ文明遺跡の代表でユネスコ世界遺産にも登録されているパレンケ遺跡の碑文の神殿から、パカル王の墓が発見された。その後、他の遺跡のピラミッドからも続々と王墓が発見され、「マヤのピラミッド=神殿」説は覆されたのである。しかし、だからといって、ピラミッドはすべてが王墓とは限らず、神殿として利用しながら、一部のピラミッドには王墓も造営されたと考えるべきだろう。

 さらに、一部のピラミッドには、古代マヤ人の世界観や暦が表現されていたことがわかっている。彼らの信じる「あの世」や畏れ敬う「天体」が、ピラミッドに反映されていたのである。その例を、やはりユネスコ世界遺産に登録されているティカル遺跡とチチェンイツァ遺跡のピラミッドで見てみよう。

パレンケ遺跡の碑文の神殿。この神殿から王の墓が発見され、マヤ文明のピラミッドが墓としても建設されたことが明らかになった。
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