第1回 知ってるようで知らないマヤ文明

 マヤ文明と言ったら、どんな言葉や風景を思い浮かべるだろうか。ミステリアス、謎、未開、石造ピラミッド、ジャングル、王墓、装飾品などなど。もしかしたら、今これを読んでいる人は「2012年世界滅亡」と答えるかもしれない。今年話題にのぼることが多い終末思想は、マヤ暦と関係あると言われているが、本当にそうなのだろうか。最近多くテレビや本で取り上げられているものの、知られているようで実は正確に知られていないマヤ文明。これから4回にわたってマヤ文明の真の姿に迫ってみたい。

「大河」と無縁の古代文明

 古代文明と言えば、おそらく多くの人が大河流域で栄えたことをイメージするだろう。エジプト文明はナイル川流域で、メソポタミア文明はチグリス・ユーフラテス川流域で、インダス文明はインダス川流域で、そして中国文明は黄河・長江流域で成立したといった具合に。しかし、マヤ文明はそれほどの大河が存在せず、川が近くにない場所にも大規模な都市がたくさん成立した。もちろん、水が必要ではなかったというのではなく、マヤ人は雨水を工夫して活用していたのだ。

 マヤ低地南部に位置するティカルでは、意図的に傾斜を作ることによって、下の方に水が流れて貯まるようにした。しかも、高い位置に貯めた水は飲料水に、そこからあふれて低い位置に貯まった水は再び農業用水として利用されたと考えられている。現代社会でよく耳にする環境に配慮した「3R」の1つ、「再使用(リユース)」が、古代マヤ文明ではすでに行われていたのである。また、マヤ低地北部は石灰岩質の地形であるため、地表には雨水が貯まらない。そこで、岩盤が落ちて泉のようになったセノーテや、地下に貯まった水を利用するチュルトゥンと呼ばれる人工的な貯水槽をうまく使っていた。古代マヤ人には、雨水を上手に利用する生活の知恵があったのだ。

マヤ北部の低地では、チュルトゥンと呼ばれる人工的な貯水槽を使い、雨水を上手に利用していた。
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