あのときはわざわざ日の出を見るために、空が暗いうちに起きだして、ヘッドランプを便りに8合目小屋から山頂をめざしました。

 真夏だというのに、息が白くなるほどの寒さでした。

 星たちが逃げるように姿を消していく薄明の世界。一歩一歩、高みへとむかって、ただ黙々と足を運びつづけます。

 やがて、遮るもののない山頂に立つと、眼下に広がる山の稜線の間には、雲の海が広がっていました。

 水平線のオレンジ色がだんだんと濃くなり、その真ん中から、線香花火の中心部のように、ぎらぎらと燃えたぎる太陽が顔を出すと、雲も、山肌も、その場に居合わせた仲間全員の顔をも、あたたかな光が照らしました。

 やわらかな光線の温もりに触れ、冷えきった頬がゆっくりと解けていくようでした。

 太陽が昇る。それはどこで暮らしていても、毎日おなじようにくり返されている日常の出来事のはず。

 それなのに、山頂から眺める日の出の瞬間は、なぜかこの世でたった一度だけ見ることができる奇跡の光景のように思えるのです。

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