第3回 今もありありと思い出すぼくの「言語喪失」体験

 よか、はだもっ(はだもち)、ごわすな。(≒すごしやすい陽気ですね)

 木部さんが挙げてくれた失われつつある鹿児島の表現に、地域が育んだ一種の皮膚感覚ともいえる深みを感じて、胸がきゅーんとしてしまったわけだけれど、ぼくがそのように強く感じたのは、幼い頃の個人的な体験が関係しているかもしれない。

 実はぼく自身、「言語を喪失した」経験がある。本人がそう感じているから、まあ、事実だと言ってよい。

 ぼくは1964年に兵庫県明石市に生まれた。ざっくり言うところの関西弁を喋っていた。

 親の仕事の関係で、小学3年生の春に、千葉県千葉市に引っ越した。生活環境はがらりと変わった。特に言葉の違いは、驚くほどだった。

 10年ほど後になると漫才ブームが起きて、関西弁はテレビで普通に話されるようになった。でも、ぼくが引っ越した頃の千葉市では、訳の分からない言葉をしゃべる奴としか思われなかった。なにかを口にしただけで笑われた。特に、自己紹介の時に、爆笑されからかわれたのは堪えた。

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2012年7月号特集「消滅の危機にある言語の未来」
本誌でも危機言語の特集を掲載しています。フォトギャラリーもあるWebでの記事の紹介はこちら。ぜひあわせてご覧ください。