私はインタビューアーとして、何かを系統立てて聞き出そうとはしなかった。キャンプ・ファイアーの炎を見ながら植村が話し、私がポツリポツリ聞く。インタビューというより雑談のようになった。その記録は一部が「ビーパル」に載ったし、のちに1冊の本にもなった(『植村直己と山で一泊』小学館文庫)。
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 植村は一万二千キロの北極圏の旅から戻ったとき、リーダー犬のアンナほか4頭の犬を日本に連れ帰った。旭川市の旭山動物園がアンナとイヌートソア2号を、帯広動物園がイグルーとイヌートソア1号を引きとってくれた。その後も犬橇をひいたエスキモー犬が日本に連れてこられて、今でも北海道にたくさんの子孫がいる。

 エスキモー犬をひきとってもらったことから、植村は帯広市の人びとと強いつながりをもつに至った。帯広動物園の中村園長がその人びとの中心にいて、そのグループが帯広野外学校をつくろうとしたのである。植村を校長にして、日本にはまだ本格的なものがなかった野外学校の設立をめざした。植村は、帯広で始まり、ひろがったこの話に心を動かされたようすだった。

「北海道の、人里から離れた所に、掘立小屋を一つ建てて、水道もない、電気もないというなかで、季節に合ったサバイバル生活をやったりしたら、けっこうおもしろい訓練ができるはずです。」

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