しかし、植村は大きな痛手を受けながら、南極を単独で横断する夢をまだ捨ててはいなかった。フォークランド戦争でアルゼンチン軍部が大混乱したのは、予想外の事故だった。もう2、3年かけて、もう一度アルゼンチンの支援を得るか、別な国の援助を考えるかして、単独横断をやりとげたい。

 植村はそうはっきりと語った。別の国の援助というとき、アメリカ合衆国が第一に頭に浮かんでいるはずだったが、アメリカ政府、軍部ともにその壁は厚い。もちろん彼は痛いほどそれを承知していた。今年の後半、アメリカに渡って、交渉の糸口を見つけたい、といった。私は賛成したが、しかし有力な糸口をどのように見つけるのか、これだという方法を相談するまでには至っていなかった。
 *      *      *
 植村直己との個人的なつきあいについて、できるだけそれが話の中心にならないようにおさえてきたつもりである。しかし、この83年については、個人的なつきあいをあるていど語っておく必要があるように感じられる。というのも、次のステップに足をかけるまで、少しはゆるやかな時間が与えられたようなことになったから、わりとよく植村と会うようになっていた。私としてはフィルムで見た植村の「暗い顔」がどうしても気にかかっていたということもある。

 5月8日と9日、植村と一緒に千曲川上流部でキャンプした。

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