第11章 南極の夢 前編

 しかし、私はこのような昂揚感もさることながら、もっと静かで、ある意味では平凡な記述のなかに現われる植村の視線に心打たれる。そして、そういう一節を読んだときこそ、南極大陸横断を実現させたかったという思いが、大波のように心中に起こるのである。日記は1月12日付、船はまだ南極の海を航行中だ。

《今日66度を越えて南極圏に入り、これより以南は太陽が沈まないのだ。夕食後、例によって映画を見た後、甲板に出てみると、夜中の12時を過ぎているというのに、日本の夏の6時頃のように明るい。太陽が地平線の上に大きく輝いているのだ。太陽は1時間たっても、まだ、水平線のうえをころげて落ちようとも、昇ろうともしない。昨日もそうだったが、今日も夜中になって西の空は青空が少しのぞいており、そこから太陽が我々にこの素晴しい光景を見てもらわんと顔を出したのであった。残念なことに今日は太陽の光を受けとめ、はねかえす氷山がない。一面荒波の海であった。》

 冒険家という以前の、植村の自然を見る目がここにはある。変ないい方だけれど、彼が冒険家であることからさえも自由であることを示しているようで、私は特別に心ひかれるのかもしれない。植村の登山家・冒険家としての出発点のいちばん底のところに、こういう目と心があった。

 しかし、いっぽうで植村は南極横断の可能性を検討する視線を働かせつづけてもいる。