第11章 南極の夢 前編


 植村直己のいいようもない暗い顔をたしかに見たはずなのだけれど、確認できないままだ。1982年の12月、南極の一角、アルゼンチンのサンマルティン基地で、南極横断の支援ができなくなったと、アルゼンチン陸軍から告げられた後の植村の横顔。それがいいようもなく暗い表情だった。

 毎日放送が取材で植村に同行していて、スタッフによって撮影された映像のはずなのだが、見たと思ったのは私の錯覚かもしれない。後で確めたところでは、植村が南極横断を今回はあきらめなければならなくなった経緯を無線で東京と話している映像はあったのだけれど、私が「見た」と思った暗い顔ではなかった。

 私の錯覚なのかもしれない。83年3月に帰国した後、私の勤務先だった文藝春秋に訪ねてきてくれたときに、私が遠くから一瞥した表情を、いつのまにかテレビで見た場面と重ねあわせて、見たつもりでいるのかもしれない。断念した彼の横顔は、慰める言葉を失なうほど、暗く重かった。

 82年2月から10カ月間、サンマルティン基地でいたずらに待機したのちの結果である。同年4月、アルゼンチンと英国の間でフォークランド戦争が勃発、戦争は6月半ばにいちおう終わったが、その余波によって植村支援が不可能になった、という話である。私は植村の無念はいかばかりかと思うしかなかった。なるほど、そういうことなのか、とやや疑わしいような思いもあったけれど、どうすることもできなかった。そして植村の暗い顔だけが脳裡に焼きついた。

1982年、支援中止が決まる前のサンマルティン基地でのひとこま。(写真提供:文藝春秋 (c) Bungeishunju)(写真クリックで拡大)