《早速読み、残された公子君の気持を知った。46-8の野崎荘、空屋になった家も残されたものにとって、そんなに淋しいことがわかる気がする。同情もこのCopenhagen(コペンハーゲン)で強くしているが、何もしてあげられない。この北極計画は私にとって、是が非でもやらなければならない使命であった。待つ身は行動をとっているものより長くつらいことと思うがカンベンしてくれ。俺とて、今までの行為と違って今度は自分のためにやるということばかりでなく、バックにいる公子君の為にもどんなことがあろうと、成功して帰らなければならないと、すごい意志のささえとなっている。》(12月5日付)

 この後に、現地で世話になった人たち宛に、日本語でいいから毛筆でクリスマス・カードを書いて送ってくれ、と依頼しているのがおかしい。公子さんを慰めるのも、頼りにするのも、植村にとっては両方が本気なのだ。

 2月15日、メルビル湾の薄い新氷の上を走っていた植村の橇が海に落ちた。植村自身は間一髪で氷の上にのがれたが、犬と橇が海につかるという危機があった。運よく橇が浮いて助かったのだが、このとき植村はまっさきに公子さんの顔を思い浮かべたと、『北極圏一万二千キロ』(文春文庫)で書いている。それにひきかえ、公子さんへの手紙では、海水に落ちたけれど、とっさに逃げて助かった、と短く報告しているだけだ。植村の心づかいを見ることができるのである。

 もう一例。その後、チューレ基地を過ぎてカナックに到着した後、植村はゆえ知らぬ憂うつに襲われ、旅を続けられるかどうか思い悩んだ。一万二千キロの旅のなかでも、いちばんの心の危機に襲われた。それについては彼自身が詳しく書いている(3月5日付の日記)。

 しかしこの危機についても、公子さん宛の手紙にはごく短くふれているだけ。

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