「元兵士の隊員があざやかな射撃で応戦した。まず機関銃を4発撃ち、しばらく間をおいてからもう一度4発、さらに間をおいてあと4発撃った。これで弾を無駄遣いすることなく、しかもこちらに機関銃があることが相手に分かった。このねらいは見事に当たり、中国兵はほどなく射撃を止めて白旗を掲げて、話し合いを申し入れてきた。隊長が出てきて、「敵と見誤り、ちょっと誤解があったようだ」と言ったのには怒りを通り過ぎてあきれてしまった」

 いやはやとんでもない遠征でした。中央アジアが北極、南極につぐ空白地帯とはいえ、冒険の質は極地とまったく違いますね。

 それでも1932年2月12日、探検隊一行はなんとか最終目的地の北京に無事到着します。かかった日数は314日。走行距離1万2400キロ。

「地中海からアジア大陸を横断し、中国の黄海まで到達したのはマルコ・ポーロ以来の大旅行である……遠征隊の成功後間もなく、各界の専門家たちが競って中央アジアを訪れるようになり、新しい発見を続けている。シトロエン―アールト・アジア大陸横断自動車旅行の真の歴史的意義は今後にその評価を待たなければならない」とウィリアムズは筆を置いています。この冒険がそのままスウェン・ヘディンによる「さまよえる湖」発見のルートにつながったことを考えれば、その意義はおのずと明らかでしょう。

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