タイタニック号に乗っていたたった一人の日本人。万死に一生を得た彼は遭難から生還までの体験を4300字近い手記に書き残した。

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ダイジェスト

 タイタニック号に乗っていた唯一の日本人、細野正文。万死に一生を得た彼は、救助された船の上で、自分の身の上に起きていることを書き残した。タイタニックの船室備え付けの便箋に、細かい文字で書き綴られた手記からは、壮絶な事故現場の生々しい様子とともに、日本人として恥ずかしくない行動を心がけつつ、生還への望みを懸けて下した細野の決断が記されている。世紀の遭難事故を生き延びた日本人の体験を誌上で再現する。

細野正文さんの遭難手記。救助された後、タイタニックの船室に備え付けられていた便箋の表裏につづった。便箋には、タイタニックを所有したホワイト・スター・ラインの社旗とOn board R・M・S・“TITANIC”の文字が印刷されている。
(細野家蔵 横浜みなと博物館寄託)

日本版編集長から

ジェームズ・キャメロンの映画の大ヒットもあって、タイタニック号の遭難事故については、多くの日本人が知っていることでしょう。タイタニックの船首で、主人公の二人が手を広げて、風を受けるシーンは今でもよく目にします。しかし、あの悲劇の豪華客船に日本人が乗っていたことを知っている人はどれほどいるでしょうか。

 当時、鉄道院の高級官僚だった細野正文さんがその人です。私は彼の存在をなんとなく知っていました。音楽家で、YMOのメンバーである細野晴臣さんのお祖父様だということで、マスコミで取り上げられることがあったからでしょう。しかし、正文さんが救助された船の上で、自分の身の上に起こっていることを書き残していたことは、今回の取材をするまで知りませんでした。その遭難手記を読んでみると、遭難当時の騒然とした現場の様子が詳細に記されている点に驚くとともに、正文さんが日本人として恥ずかしくない行動を取ろうと心がけながらも、生き残る望みを最後まで諦めず、最後の最後で救命ボートに飛び乗ったことに、人間の生への強い思いを感じました。

 しかし、帰国後、生還した正文さんを非難する人もいたようです。婦人や子どもたちを優先的に避難させるルールがあるにもかかわらず、生き残ったことを卑怯だと……。はじめ私は、あの惨劇を生き抜いた人がなぜ、こうした非難や中傷を受けなければならないのか理解できませんでした。当時の新聞などを読んでいくと、その疑問が少しずつ解けていきました。タイタニック遭難から3カ月半の後、日本では明治天皇が崩御しました。その大喪が執り行われた夜、日露戦争の英雄、乃木希典は夫人と共に自刃します。彼の死は殉死として概ね肯定的に受け止められ、武士道の体現者として称えられさえしました。そんな時代のなか、正文さんがとった態度を潔いと思わなかった人もいたのでしょう。

 当の正文さんはそうした非難に反論することはありませんでした。遭難直後に記した手記も公表することはなかったといいます。他人が何と言おうと、あの夜、自分が体験したことを理解することは出来ないと感じていたのかもしれません。生前、正文さんが家族に笑いながら語ったという言葉が印象に残りました。「俺が今ここにこうして生きているんだから、いいじゃないか」。遭難の辛い体験や帰国後の非難などをすべて胸にしまい、家族と共にいられることの幸せを感じていたのでしょう。

(大塚 茂夫 日本版編集長)

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●タイタニック特集のサイドバー「日本人ノ恥ニナルマジキ」本文は、「ナショナル ジオグラフィック日本版」4月号誌上でお読みいただけます。

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