第3回 ピュリツァー賞が与えた影響

1枚の写真が招いた騒動

 写真家ケビン・カーターは、南アフリカにおける反アパルトヘイト闘争の取材で国際的に知られていました。カーターは危険な場所での取材のため、3人の写真家とチームを組んでいました。過激な取材をくりかえす4人を「バンバン・クラブ」と呼び始めたのは南アの雑誌です。

ハゲワシと少女。 © Kevin Carter/Sygma
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 1993年2月、カーターは休暇をとってバンバン・クラブのメンバーであるジョアン・シルバと一緒にスーダンへ向かいました。食糧配給所のある村に到着すると、さっそく撮影を始め、配給を求めてやってくる餓死寸前の人々の悲惨な姿をカメラに収めました。

 配給所近くで、小さな女の子がうずくまっているのが見えました。そのとき、ハゲワシが少女の近くに舞い降りてきました。カーターは位置を決め、少女と、じっと時を待つハゲワシをファインダーのなかにとらえました。2、3枚撮影しおえてから、ハゲワシを追い払いました。

 カーターの友人によると、撮影後のカーターは落ち込んでいたといいます。この写真はニューヨーク・タイムズ紙に掲載され、あっというまに世界中で有名になり、アフリカの悲惨を象徴する写真として、人々の心をとらえました。

 有名になったカーターはフリーになりますが、生活は思ったほど楽ではなく、しかも取材中に友人の写真家を失います。さらに、追い討ちをかけたのが、過酷な状況にある幼い少女を助けずに、写真を撮ることを選んだと非難する声でした。1994年にピュリツァー賞を受賞したわずか3カ月後、カーターは自殺してしまいます。

 なお、藤原章生氏の著作『絵はがきにされた少年』(文春文庫)中の「あるカメラマンの死」は、この写真をめぐるカメラマンの苦悩と実像を追ったものです。世に知られたものとはまた異なる撮影の状況が語られています。