幼き日に母と旅した東北を、日系米国人の作家が再び訪れた。

 先日、古い日記を見つけた。子供の頃、日本を旅したときにつけていた絵日記だ。

 ページをめくっていくと、傘を手にした女性(母)の背中に子供(私)がしがみついている絵があった。青森のねぶた祭りを見た翌日に起きた洪水の絵だ。大きな雨粒が空一面にびっしり描かれ、母は膝まで藍色の水に浸かっている。あのとき母は、私を安全な場所に避難させながら、怖がらなくてもいいと笑っていた。けれど、不安でいっぱいだった。雨がやまなかったら、どうなるんだろう。

 私たちが訪れたのは、青森や仙台など、いずれも海に面した町だった。新しい町に到着するたびに、まるで儀式のように母が聞く。「海の水が急に引いたら、どうするの?」
 「逃げるの」。私の答えも、いつも同じだった。
 「なぜ?」

 大きくなるにつれ、そんな儀式がうっとうしく感じられた。何だか芝居じみていて、大げさな気がしたのだ。母は日本で生まれ、若い頃オペラ歌手になる勉強をしていた。まるで舞台にでも立っているかのような口調だ。

 「どうしたの。なぜかおっしゃい」
 「ツナミが来るから」

 大人になってから、海を眺めてふっと思うようになった。水がすっかり引いたら、どんな風景が広がるのだろう。海はどのくらい遠くまで去っていくのか。再び戻ってくるときには、どんな姿を見せるのだろう。