私は、正木氏が運転する車で円山川の土手の道に出る。車から下りて、菜の花が風に吹かれて黄色い波をつくるのをぼんやりと眺めながら、植村がかつて語ったことを思いだすともなく思いだしている。

 家の手伝いだけは、よくやらされた。いやでいやでしょうがなかったけれど、農家の子どもは手伝いをやらないわけにはいかなかった。

《……小学校上がったらすぐに、いや、もう小学校行く前から(笑)。畑仕事、田んぼ仕事、そして牛の世話。
 牛は農耕用の牛で、子牛をとろうとして飼っていたんです。牛というのは、すごく世話がやけるんですよ。毎日餌やらなくちゃいけない。まわりを清潔にしてやらなくちゃいけない。》(『植村直己と山で一泊』小学館文庫)

 学校が終ると、毎日のように牛を円山川の土手に連れていって、放牧する。この放牧の話と、それでできた時間で魚取りをした話を、植村からたびたび聞かされた。手伝いはいやでいやでたまらなかったとやや大げさにいいながら、牛の世話と魚取りの話をするときの植村の表情は生き生きと輝いていた。私は後年の冒険家をそれで説明しようという意図をもっているのではない。彼の少年時代の幸福なときを思い描いて、ホッと安堵しているにすぎない。

 少し長くなるが、『植村直己の冒険学校』(文藝春秋)から植村の話を引いてきて、この「故郷」の章の結びにしたい。

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