さて、2009年4月の日高町訪問では、吉谷館長の車で近くの蘇武岳(1074メートル)の頂上のすぐ下まで行った。といっても、この山は植村が豊岡高校1年のときクラスメイトと競走して登ったことがあったというだけのこと。高校生の植村は山にはまったく興味がなく、学校に山岳部はあったけれどどんな活動をしていたのかは知らなかった。

 私としてはただひやかしで吉谷館長の車に同乗させてもらっただけで、南の方向に有名な氷ノ山(1510メートル)が遠望され、但馬盆地が意外に幾重にも低山に囲まれているのを知った。

 いっぽう、植村の少年時代からの友人である正木氏とは、円山川沿いを何の目的もなく車で下ったり上ったりした。正木さんとは84年に上郷に行ったときからの知り合いである。そのときはもう一人の少年時代からの友人、小山允一氏にも加わってもらって、植村の少年時代のことを取材したのだった。

 印象に残っているのは、正木氏と小山氏は異口同音に、少年時代の植村は「とにかく平凡で、地味で、目立たなかった」と繰り返し語ったことである。「学校の成績は中の上、良い方にも悪い方にも目立った子ではなくて、どうにも説明のしようがありません」と、2人は困惑するばかり。

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