第8章 故郷 後編

 地元に新日本運輸という運送会社があり、そこの人事課長が同じ村の人で、母親の知り合いだった。母親はひとりでさっさと人事課長に頼みに行って、決まった以上は植村もそれに従わざるを得なかった。しかしそのとき、植村は自発的に東京支社勤務を希望した。それが入れられて、東京に下宿し、朝早くから夜遅くまで根をつめて働いた。「東京に出てそんな勤めをしていると、学校へ行きたいという気持ちがだんだん強くなって」きて、翌年、明治大学を受験し直すのである。

 植村は、とても受験勉強どころではなかった、と語っているが、はたしてそうだったかどうか。植村流の深謀遠慮で、何とかして東京の大学に進みたいと考え、東京勤務になって親元を離れ、ひそかに受験勉強も怠りなかったという証言もないではない。

 正木徹氏はかつていったことがある。「当時の感覚からすれば、この村から大学へ行くことさえ手の届きにくいことでした」から、植村が卒業後に外国に行きたいといい出したとき、もう彼が何を考えてるのか見当がつかなくなった。おそらく、正直な感想だろう。

植村が山登りを始めたのは明治大学に入ってからだった。(写真提供:文藝春秋 (c) Bungeishunju)
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