第1回 そもそもピュリツァー賞とは?

最初の受賞写真

 1942年、報道写真部門が設立されて最初の受賞作は、フォード自動車工場での労働争議を撮影したものでした。前ページの写真をご覧ください。撮影したミルトン・ブルックスは「一発必中のミルトン」と呼ばれており、取材に出かけても絶好の1枚が撮れる瞬間を待ち、その1枚を撮影するとさっさと家に帰ってしまう、という伝説を残しています。

 当時使われていたカメラ「スピード・グラフィック」は1枚撮影するたびにフィルム・ホルダーやフラッシュバルブを交換し、シャッターをセットし直すといった多くの手順が必要で、シャッターチャンスという言葉はまさに“一瞬の勝負”だったのです。

 そうはいっても、当時の写真家もやはり何枚もの写真を撮影していました。当時の報道写真家において、シャッターチャンスを待つ、という点についてブルックスほど辛抱強い人はいなかったのでしょう。また、そのチャンスを見極める目を持っていたのです。

 1941年は米国各地の工場でストライキが行われていました。労働者との交渉に応じないまま、フォード社が4月3日に1人の労働者を解雇したことをきっかけに、同社最大の工場であるリバー・ルージュ工場はストライキに突入し、ストに参加しない労働者との間で衝突が起きてしまいます。

 ブルックスがシャッターチャンスを忍耐強く待っていると、1人の男が組合のピケ隊と口論をしているのに気づきました。他のカメラマンは口論を撮影した後、他の被写体を求めて移動してしまいましたが、ブルックスはこれがトラブルに発展するだろうと考えその場でじっと待っていたのです。

 ピケ隊と言い争いをしていた男が強引に進もうとすると、ストに参加している労働者たちがこん棒を男に振り下ろしました。その瞬間を逃さず撮影したブルックスは、初のピュリツァー賞写真部門の受賞者となりました。