日記・覚え書で目を惹いたのは、ペンバとケンチの家系図を詳細に書いていることだ。祖父祖母の代からはじまって、夫婦のあいだの子供たちまで、こまかく記入されている。

 植村はネパール語がほとんどできないし、おかみさんのケンチは英語ができない。おそらくはカタコトの英語ができるペンバの弟のカミ・パサンが協力してくれたのだろうが、ほかにフードルジェというシェルパの家、カミ・パサンの妻の家の家系図もつくりかけているのを見ると、植村のシェルパ族への親愛感はきわめて深いものであることが見てとれるのである。

 植村はペンバの留守の家で、家族と一緒に現地の食事をとる。たとえば、ジャガイモと麦こがしのツァンパを混ぜたロティというバター焼。バター(ギー)はヤクの乳からとったもので、シェルパ族の食事には欠かせない。そういう現地の食事を、植村は本気でおいしいと思って食べるのである。

 朝6時半に起床。いつものようにトレーニング開始。気温はマイナス5℃。12月10日の日記の一部を読んでみよう。

《この時間にはまだ村人は誰も外には出ていない。家の屋根からところどころ軒煙りが立っている。村のはずれの上部にある水場には女子供が三~四人、朝の水くみにタルを頭にかかげて来ている。(中略)

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