第7章 『青春を山に賭けて』の時代〔その2〕後編

 もう一つ。69年の暮れにカトマンズで大塚氏交替の衝撃的ニュースを聞いた後、植村は飯もノドに通らない状態のなかで、今後の自分の進路をあれこれ考えた。そのとき、「南極大陸の単独横断」がふっと頭に浮かぶのである(日記にもその記載がある)。

 第二次偵察隊のとき、カトマンズで出会った朝日新聞の記者とグリーンランドについて雑談を交わした。グリーンランド単独横断をいつか実現したいと思っていたのだが、68年に日大隊によって先を越されてしまった。植村がそういうと、朝日の百々信夫記者が、「北がだめなら南極で行くさ」とおそらくは軽い調子でいったことが耳に残った。70年の年頭に今後の進路を考えざるを得なくなったとき、「南極」に思いが至るのである。

 しかし、南極はまだ心に根を下ろすような夢にはなっていない。植村の気分は4、5日で再逆転して、エベレストに向うのである。いつ、「南極単独横断」の夢がよりはっきりしたものになったのか。植村自身、エベレスト登頂後とか、エベレストを終えて同年8月にアラスカのマッキンリーに単独登頂した後とか、時によって少しずつずれた発言をしている。ただ、エベレスト登頂を果たした70年の秋には、南極への夢が彼の全身に根を下ろしたことはまちがいない。

つづく

湯川豊(ゆかわ ゆたか)

評論家、エッセイスト。1938年新潟生まれ。慶応大学卒業後、文藝春秋に入社。『文學界』編集長、同社取締役などを経て、2009年より京都造形芸術大学教授。『イワナの夏』『夜明けの森、夕暮れの谷』(共にちくま文庫)、『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』(スイッチパブリッシング)などがある。2010年『須賀敦子を読む』(新潮社)で読売文学賞受賞。


本文ではグリーンランドからアメリカにいたる極北の先住民を「エスキモー」と表記しています。この言葉は一概に差別的とされているわけではないものの、一部登場するカナダの先住民は現在、「イヌイット」という呼称を使うように主張しています。しかしながら、本文では植村直己氏が、自らの探検でかかわった極北の先住民一般に対し愛着をこめて「エスキモー」と呼んでいることを尊重し、その呼称を用い、著者の表記もそれに準じています。
(Webナショジオ編集部)