第7章 『青春を山に賭けて』の時代〔その2〕後編

 このエベレスト登山隊のくわしい登山行動については、『エベレストを越えて』にゆずる。登山隊と同時期にアイス・フォールにいた三浦雄一郎氏らのスキー隊のシェルパ6名が雪崩にあい、死亡するという事故があった。また、成田隊員が体調を崩して死亡、という不慮の出来事があったが、登山は着実に進み、植村はそれを淡々と記述している。

 この登山隊の一員として行動した植村について、私が特に注目した点が、登頂の栄光とは別に二つある。 

 一つは、組織のなかの行動(登山)ということで植村がさんざん思い悩んだ、ということ。先に述べたように、ペンバ・テンジンの家に泊めてもらった時間がもっとも安らぎにみちていたことがそれを傍証している。その上に、大塚博美氏の交替事件もあった。植村はその前の世界放浪1000日を思い、「単独行動」の自由を身にしみて感じとったに違いない。

 植村は1980年に「日本冬期エベレスト登山隊」を組織し、隊長として冬のエベレストにいどんだ。この登山隊は結果を出すことができなかったが、70年のエベレスト登頂以後、植村がチームを組んで行動した唯一のケースになった。彼が試みた他の登山や冒険は、すべて単独であった。