第3話  JAMSTECへの道 後編

その2  ヌルすぎるぞ、オマエら!--反抗期の博士課程

もちろんその最低限の行いは、今はなきニホンイクエーカイ様(現独立行政法人日本学生支援機構)の有り難い奨学金によって大部分支えられていたわけであるが。高校生の時から博士課程の修了までに、今はなきニホンイクエーカイ様からつまんだ借金は社会人になる前には、800万円以上に膨らんでいたという驚愕の「なにわ金融道」的事実はさておき。

ふははは、若い頃の借金は、オトコのカイショーよ!(そしてボクは社会制度上免除職ではないと判断されて、今も感謝の気持ちをこめて全額返済しています)

ともかく、奨学金とアルバイトで爪に火をともす生活していたボクにとって、自腹で国際学会に行くということは、「ぜったい、モトはとらないと!」ということなのだ。

この「ムチャクチャイターイ自己投資」が、英語もろくにしゃべれないけど、ボクの恐ろしいまでの積極性の原動力だったのだ。そして成長の証だ。

さらにボクは木下藤吉郎ばりの秘策まで用意していた。実はジョージア大学には、アメリカ留学中に国内集会で、一度訪れていたのだ。そのときボクは、人生で唯一の体験である「ノーマルじゃない男子」との夜デートというとても苦酸っぱいケーケンをしていて(ここはいずれどこかでフィクションとして書きたいぐらい。しかし今回はスルーの方向で)、その街のことを忘れられないぐらいよく知っていたんだ。