第3話  JAMSTECへの道 後編

その2  ヌルすぎるぞ、オマエら!--反抗期の博士課程

今から振り返ってみると、これが一種の「親離れ」なんだろう。親子間でも、子供が一時期、一種の嫌悪感や反抗を覚えたり、独立心が芽生えたりする時期があるように、研究室の師弟関係においても、当然存在すべきモノだと思う。むしろこれがないと、研究者としての独立心、独創性を大きく飛躍させるきっかけがなかなか掴めないのではないかとも思う。

そして重要なのは、弟子にとっての「親離れ」と同時に、師匠の立場からすれば「子離れ」も大事だということ。これをうまくコントロールできない師匠は、いろいろささくれだった研究上の人間関係モンダイを起こしやすいかもしれない。

左子先生は、そんな反抗期ツッパリ大学院生のボクをうまくいなしていたと思う。もちろんボクも「博士号授与」という生殺与奪のタマを握られていることはジュウジュウ承知していたので、理不尽なツッパリをしていたわけでもなく、距離を置くようになっていたというのが正確な表現かもしれない。

そんな「オトナの階段のぼるキミはまだシンデレラさ」(引用元:H2O『想い出がいっぱい』)なボクの内面のヒダヒダはともかく、日本に帰ってきてから約1年半のうちに、博士論文を仕上げねばならない、という差し迫った現実があり、実際はあくせく実験に打ち込んでいた毎日だった。