植村の日記・覚え書、あるいは『青春を山に賭けて』を読んでみると、登山そのものの困難よりも、たとえば登山の許可を得るというような交渉ごとのほうが何倍も大変だったことが如実に伝わってくる。

 組織で事に当るのであれば、事態はもっと円滑に運ばれていくであろう。植村のばあいはいつもひとりで、何のバックアップもなかった。不得手なスペイン語を使っての交渉は、ほとんどマンガのようなものである。ロコと陰口を叩きながら大笑いしている相手よりも、植村のほうがこれはマンガの一コマであることをよく知っていた。

 しかし、植村は自分の胸に宿った願望を実現するために、自分をマンガのなかに置くことに耐えた。彼が手づくりで、単独の登山や冒険をやろうとするかぎり、多かれ少なかれ彼の行動につきまとってきたことである。そして青春放浪の時代にそれはもっともあけすけに彼が直面しなければならないことでもあった。

 このように見ていくと、この青春放浪時代にこそ、植村直己という冒険家の原型が誕生したのである。彼の願望とそれを実現するための道筋がこの「海外放浪」の時代にひとつの型をもちはじめている。ここで植村直己の誕生に立ちあっているような思いが私にはある。

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