第6章 『青春を山に賭けて』の時代〔その1〕後編

 アナ・マリア・ロペスは神に仕える身、一人の男を愛するわけにはいかないが、あなたの無事を祈っていましょう、といってくれた。そして1月4日、サントスで一足先に船を下りていった。

 植村は、数日間の、しかもごく短時間のアナ・マリアとの会話が長く忘れられなかった。アコンカグアの単独登頂を果たし、4月にアマゾン河6000キロのイカダ下りを始めるとき、自分の体を托すイカダに「アナ・マリア」と命名した。

 誰かに思いを托す、というのは植村の癖といっていいかもしれないのだが、ここでもそれが発揮されている。イカダの上で危機が訪れたとき、彼は「アナ・マリア、助けてくれ!」と心のなかで叫ぶ。これは呪文のようなものだが、植村には強く思いを托すものが必要だった。

 もちろん、ただ呪文をとなえるだけではない。となえながら全力をつくして危機を脱しようとする。それが植村方式であり、単純といえば単純かもしれないが、そこで発揮されるのは並はずれたエネルギーの集中だった。後に極地の冒険でも何度かこの植村方式が発動するのを私たちは見ることができる。

「アナ・マリア」と命名したイカダ。(写真提供:文藝春秋 (c) Bungeishunju)
(写真クリックで拡大)