第6章 『青春を山に賭けて』の時代〔その1〕後編

 1年前の日記ですでに見たように、登山家として立つ、とか冒険家として立つというような意思はここでも見られない。それでも、ただやりたいという願望に導かれて、彼はアコンカグアに登り、アマゾン河6000キロをイカダで下る。その結果、知らず知らずのうちに、「真の人間として生きる価値がある」と考えた、「自分の定職をもつこと」から離れてゆく。

 しかし私は、若い植村の心にある生まじめなストイシズムに、彼の真髄があると思わざるを得ない。自分を甘やかさない、ということは、植村が事の成り行きから「定職につくこと」がなかったとしても、変わらずに彼のなかにあった。

 しかし、植村は若い。若くて、金銭のことを除いたら、明るい楽天性がある。自分をきびしく律していただけではない。食事時、同じテーブルについたブロンドの若い娘につい目をひかれてしまう。スペイン語ができないから、話しかけられないのが無念、フランス語ができる女性はいないのか、と日記のなかで嘆いている。

 年がかわって、植村はとうとう一人の若い女性に話しかけた。それがなんと布教のためボリビアの辺地に行こうとしている修道女で、名はアナ・マリア。周囲にいた女性で、ただひとりフランス語を話すひとだった。

 色白で丸顔、メガネをかけている。150センチほどで小柄。僧衣をまとった、穏やかな顔がほんとうに美しい。首からかけている銀色の十字架が動くたびにキラリと光るのが忘れられない、と植村は書いている。