第2回 「オオサンショウウオって何年生きるの?」

「来てみたら"御殿"があったんですよ。木造の一戸建ての教員宿舎。いっそ、そこに住んでしまえ、と。ちょうど周辺の4町が合併して朝来市になったばかりで、余ったミーティングテーブルとか、ロッカーや本棚を譲ってもらえることになって、地元の人がトラックを出して運んでくれて、もうラッキーの連続でしたね」
 と幸運を強調する。

 もちろんそれは間違いではなくて、本当に超ラッキー! と言いたくなるほどなのだが、背景にはオオサンショウウオの調査、さらに河川改修での一時保護の実績などがあり、自治体としても朽ちていくばかりの廃校舎を貸し出すのに躊躇せずにすんだのだろう。

 栃本さんは、最初、電気や水道を含めて、ライフラインのない元教員宿舎の「御殿」に住みつつ、居住環境と研究所を整えていく。何はともあれ「日本ハンザキ研究所」と名をつけて支援会員を募り、自ら所長となった。初期のニュースレターには、夜はランタンの光が頼りで、トイレがないためあちこちに穴を掘って「富栄養化」に寄与してしまいつつ生活する様子が報告されている。大変には違いないが、どこか「15少年漂流記」のようなワクワク感のある日々だ。