第3章 1901-1920 もっと写真を!

第5回 ナショジオが見た明治の日本

『ナショナル ジオグラフィック』にはじめて日本に関する記事が掲載されたのは1894年。日清戦争に突入した年でした。著者は、戦争へ突き進む日本の立場を諸外国に説明するために、日本政府が米国から招いた「お雇い外国人」のひとりです。

 次は第2章第4回で紹介した「明治三陸津波」のレポートです。

 以降は1901年までに計4本の記事が掲載されました。そのひとつは1898年10月にグラハム・ベルが日本を訪問したときの手記です。
  「日本の過去25年間の目覚しい発展ぶりをみると……将来さらに成長を遂げる可能性が高い」とベルは結んでいます。

 1901年までは8年間で計6本でした。対して、1904~05年では2年間で計7本もの記事が掲載されます。1902~03年は何もありませんでしたから、やはり日露戦争で相当注目されていたのでしょう。

 記事の内容は、和紙や漁業など日本の産業に関するものから、一等書記官だった日置益(ひおき えき)が書いた「日英同盟の目的」までさまざまでした。 

 なかでも、ハーバード大学を卒業し、セオドア・ルーズベルト大統領とも知り合いだった金子堅太郎の「日本人の特性(The Characteristics of the Japanese People)」という講演録は別格だったようです。1905年3月号の巻頭に掲載されました。厳密にいえば、本人が書いたものではありませんが、これは日本人初の寄稿です。