第6章 『青春を山に賭けて』の時代〔その1〕前編

《船の中では三食が保証され、お金の心配なしに食べられるのは天国だった。チーズも、ワインも、パンも、どれもこれもすてきにおいしかった。》

 と書いている。

 明大遠征隊は、交通費の余裕がなかったのだろうか。私の考えでは、飛び入り参加の植村が気を使って、交通費は自弁で大丈夫といったように思えてならない。遠征隊にすまないと思う気持が半分、植村らしい見栄が半分。

 船の中ではお金の心配なしに食べられるのが天国だった。というのは実感がこもっている。同時に、マルセイユからアルプスの麓まで、無一文で4日間のヒッチハイクをやったという、その大変さが思いやられる。たぶん食うや食わずの4日間だったのだろう。

 私が「人に食べ物をもらったりしながら」とからかうようにいったことに、彼が「オレは物乞いなんてしたことありませんよ」と反発したのは、この帰途のつらさが冗談事でなかったことを示しているのではないか。

 おそらく、インドからの無理がたたったのだろう。モルジンヌでジャン・ビュアルネに迎えられ、再び働きだした植村は数日して体調不良で倒れ、入院騒ぎになった。黄だんが発症し、1カ月の入院生活を余儀なくされた。

 このヒマラヤ行きでもその気配が強いのだが、1000日の世界放浪での植村は、やりたい登山や旅の実現と、そのための資金稼ぎ、もっと端的にいえば、金銭勘定の間を行ったり来たりしているのである。それが彼の青春放浪の原型のようなものだった。