第6章 『青春を山に賭けて』の時代〔その1〕前編

 めざすはゴジュンバ・カン(7646メートル)。第1次アタック隊が失敗した後、植村は第2次アタック隊に選ばれて、シェルパのペンバ・テンジンと共に頂上に立った。

 この登頂成功は、植村にとって複雑な思いを催すものだったようだ。そもそも遠征隊の資金調達には参加せず、ヨーロッパから飛び入りのかたちでの参加だった。しかも、頂上に立ったのは植村とペンバ・テンジンだけ。帰路、キャラバンの途中で日本から送られてきた新聞の書き方を見て、植村は「穴があったら入りたい」と思う。自分はたまたま頂上に登らせてもらったのに、大きく扱われているのは自分だけで、隊員諸氏に申しわけない。高橋進隊長は、「隊員でただひとり頂上に登ったのだから、一緒に日本に帰れ」といってくれたが、植村はカトマンズで遠征隊と別れた。

コジュンバ・カンに初登頂。(写真提供:文藝春秋 (c) Bungeishunju)(写真クリックで拡大)

 私が語りたいのは、じつはここからのことである。

『青春を山に賭けて』(文春文庫)では、その後のモルジンヌまでの帰途については、淡々と書いているが、実際は大変な苦労だった。カトマンズから陸路ボンベイに出たとき、植村はほとんど金を持っていなかった。ボンベイからフランスのマルセイユまでの船賃すらなく、カメラとか時計を処分してようやく船に乗ることができた。