第6章 『青春を山に賭けて』の時代〔その1〕前編


 植村直己は人とのつきあいでは、おおむね穏やかな態度に終始して、内にもっている激しさを表に出したことはほとんどなかった。少なくとも私はたかぶった植村を見たことはほとんどない。

 それだけに、次に語る例外的な一件だけは、今でもはっきり覚えている。
 植村と知りあってから数年たって、軽口を叩けるぐらい親しくなっていたころだったと思う。他の編集者が同席しているところで、植村の1000日の海外放浪時代の話になった。私はいった。

「耐えしのぶ、という点でも、あなたはずば抜けてますね。ほら、マルセイユからアルプス山麓のモルジンヌまで、一文無しでヒッチハイクで戻ったことがあるでしょう。人に食べ物をもらったりしながら」

 彼は、顔を紅潮させながら、「いゃあ、オレは物乞いなんてしたことありませんよ。道端の畑から何かちょっと失敬したことはあったかもしれませんが、食べ物をめぐんでもらうなんて!」と強い口調で否定した。

 私は食べ物を誰かにもらったところで、ちっともかまわないじゃないか、という思いがあって、つい気軽に口にしたのだけれど、後で考えると、彼にしてみればこのときの苦労は冗談事ではなかったのである。私は思慮不足から、彼のつらい体験にずかずかと土足で踏みこんでいくようなことをしてしまったのだった。