第5章 現地から届いた手紙 後編


 その後、78年の北極点・グリーンランドの単独行からは、冒険の規模がぐっと大きくなった。単独行であってもサポート隊が組まれたり、場合によっては報道陣が冒険に密着して取材したりした。したがって、私への便りもハガキで用が足りるていどになっていった。それは植村の夢を実現するために私自身が望んだ体制でもあった。

 植村からの最後の便りは、アメリカのミネソタから発信された、1984年の年賀状である。ミネソタの野外学校のゲストを、年末までつとめていた。

《賀正
大変お世話になりました。今年もよろしく。指導員の訓練行がカナダ国境へ2週間。マイナス48℃を記録、厳しい中にも楽しさあり、元気に頑張っています。一月中旬からアラスカへ極地のマッキンリーの冬に試みます。》

 私は83年の年末に、ミネソタにいる植村と短い電話で話している。だから、このハガキで冬のマッキンリーに登るのを知ったというわけではないのだが、――これはやはり読み返したくない年賀状になってしまった。

つづく

(付記 植村直己からの私宛の手紙の掲載については、著作権継承者である植村公子夫人の許諾を得ている。公子さんの寛容に御礼を申し上げたい。)

湯川豊(ゆかわ ゆたか)

評論家、エッセイスト。1938年新潟生まれ。慶応大学卒業後、文藝春秋に入社。『文學界』編集長、同社取締役などを経て、2009年より京都造形芸術大学教授。『イワナの夏』『夜明けの森、夕暮れの谷』(共にちくま文庫)、『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』(スイッチパブリッシング)などがある。2010年『須賀敦子を読む』(新潮社)で読売文学賞受賞。


本文ではグリーンランドからアメリカにいたる極北の先住民を「エスキモー」と表記しています。この言葉は一概に差別的とされているわけではないものの、一部登場するカナダの先住民は現在、「イヌイット」という呼称を使うように主張しています。しかしながら、本文では植村直己氏が、自らの探検でかかわった極北の先住民一般に対し愛着をこめて「エスキモー」と呼んでいることを尊重し、その呼称を用い、著者の表記もそれに準じています。
(Webナショジオ編集部)