鉛筆で書いた、踊っているような文字。特に最後の3枚目は橇が揺れたせいだろうか、文字がさらに大きくなって揺れている。臨場感みなぎる手紙だった。

 この手紙はグリーンランド滞在と犬橇の訓練がうまくいっていることを伝えてくれたが、私はもう一つの別の含みを読みとってもいた。シオラパルク~ウパナビック往復の旅が長びいていて、4月に予定していたカナダへの旅ができなくなった。そのため6月まで1万キロメートルの走行をこなす予定が実行できなくなった、というくだりである。

 植村はさらに北極圏での訓練と冒険を考えているのではないか、と私は漠然とではあったが予感した。この予感をいだいたのには、もう一つ理由がある。

 72年9月にシオラパルクに入る前、植村は同年1月にアルゼンチンの南極基地ベルグラーノに入って、初めて南極の氷を踏んだ。南極横断計画のための偵察である。

 ベルグラーノ基地に入る前、71年11月30日付で、アルゼンチンのブェノスアイレスから届いた手紙がある。その手紙の末尾には、気の早すぎる72年の予定が記してあった。それによれば、3月末~7月 グリーンランド。10月 東京→南極(米軍マクマード基地)、11月 南極横断出発、とある。

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