その一つは、性にまつわる習俗である。男も女も、老いも若きも、また既婚者も未婚者も、性交においてきわめて自由奔放であり、しかも人目をはばからなかった。植村自身も女性に押しかけられて危うく「難を逃れた」ことが数度ならずあった。困ったあげく、「私はドクターからオヒョーを使ってはいけないと言われている」という決まり文句を使って逃げることにした(オヒョーは性器のこと)。『極北に駆ける』には、開放的な男女の交わりへのとまどいが語られていて、植村のきまじめな対応がユーモラスにも感じられる。

 もう一つは、アルコールへの嗜好である。ビールでもウィスキーでも、エスキモーたちはある限り飲みつづけ、泥酔する。それによって危険な事件が起こることもある。デンマーク政府は、エスキモーへのアルコール類の販売量をきびしく規制しているが、月に1回アルコール類を買える日は、人びとがほとんど例外なく泥酔する。

 エスキモー社会には、もともとアルコールがなく、外部世界(白人社会)から入ってきたものである。それだけに飲酒に自制が利かない。植村は飲酒にかんしてもドクター・ストップを応用して辞退しつづけているが、同時にエスキモー社会の重大な問題として憂慮している。この問題に簡単な解決法は見当らないというのが現状だ。

 植村の先住民からの学び方をひと通り追ってみた。先にも述べたように、植村はそのとき天才的としかいいようのない適応力を発揮している。その学習と適応力こそが、植村の冒険の下支えになったのであった。

つづく

湯川豊(ゆかわ ゆたか)

評論家、エッセイスト。1938年新潟生まれ。慶応大学卒業後、文藝春秋に入社。『文學界』編集長、同社取締役などを経て、2009年より京都造形芸術大学教授。『イワナの夏』『夜明けの森、夕暮れの谷』(共にちくま文庫)、『終わりのない旅 星野道夫インタヴュー』(スイッチパブリッシング)などがある。2010年『須賀敦子を読む』(新潮社)で読売文学賞受賞。


本文ではグリーンランドからアメリカにいたる極北の先住民を「エスキモー」と表記しています。この言葉は一概に差別的とされているわけではないものの、一部登場するカナダの先住民は現在、「イヌイット」という呼称を使うように主張しています。しかしながら、本文では植村直己氏が、自らの探検でかかわった極北の先住民一般に対し愛着をこめて「エスキモー」と呼んでいることを尊重し、その呼称を用い、著者の表記もそれに準じています。
(Webナショジオ編集部)

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