第3回 グレートフィッシュ川――クロージャーの決断

ビクトリーポイントからフランクリン岬方向を望む(写真クリックで拡大)
(撮影:角幡唯介)

 今から181年前の1830年5月30日、ジェームズ・クラーク(J・C)・ロスがキングウイリアム島のビクトリーポイントに到達した時、彼は南西の方角に見えた、海に長く突き出た平坦な陸地に、著名な探検家に敬意を表してフランクリン岬と名前をつけた。そしてその手前のやや盛り上がった岬を、フランクリンの妻の名前をとってジェーン岬と呼んだ。

 おそらくこの時、J・C・ロスに他意はなかったはずだ。探検家として初めてキングウイリアム島にやってきて、北西航路の謎の解決につながるのかもしれない見知らぬ海と陸地が南に続いているのを彼は見た。そしてそこから望んだ文明から最も隔てた地に、北西航路の発見に今も執念を燃やす男の名前をつけることにした。ついでに仲睦まじそうに並ぶもうひとつの岬に、その男が愛する妻の名前を与えた。たぶんそんなところだったのだろう。『第2次北西航路探検記』の中で彼は次のように書いている。

「南西のほうに見えた地点に私はフランクリン岬という名前を与えた。その名前がいくつかの地名に使われているとしても、そのことによって与えられる名誉はその探検家が真に値する価値からはほど遠い」

 J・C・ロスが気をきかせてつけたこの地名は、後になってみるとひどく皮肉なものとなってしまった。というのも、それから16年後に、彼が地名にして栄誉を与えたジョン・フランクリンが、まさにその場所の近くまで船でやってきて、悲劇的な死を遂げてしまったからだ。さらに彼が死んだことを妻に知らせる物証が見つかったのも、そのビクトリーポイントだったのだ。