もちろんヨーロッパやアメリカの人びとの冒険が100パーセントそうであった、というのではない。たとえばヨーロッパの人びとが熱中しはじめた登山などでは、征服欲を満足させるためには微妙な自然観察が必要であり、自然に対する謙虚な態度がそこからみちびきだされた。

 そうではあるけれど、西洋の冒険が自然を征服するという表情を色濃くもっているのは事実である。それに対し、植村の冒険は自然への適応という表情が特徴的。植村は別に観念的に西洋の方法を批判したわけではなく、エスキモーなど先住民に学ぶという態度からごく自然にそうなっていったのである。

 エスキモーは極北の地や海にいる動物や魚をとり、獲物のすべてを利用しながら寒冷地に生きのびてきた。自然のもたらすもののなかに、人間が生きのびる道があった。エスキモーたちはきわめて高度の適応能力をきびしい自然のなかで育てた。植村はそれを習って、適応能力を自分の身につけようとしたのである。征服とは反対側にある態度である。

 理屈ばっていえば、植村直己の自然に対する対し方は、日本人的あるいは東洋人的であるとひとまずはいえるかもしれない。しかし、では自然に対する日本人的態度とは何かを考えていくと、かんたんな議論ではすまなくなる。そういう一般論にここでは足を踏みこまないことにする。

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