第2回 キングウイリアム島――地図のない世界

 164年という歳月が意味するものは、私たちが雪と氷の世界に持ち込んでいた装備の中に、ひとまず現れていた。ゴアテックスでできた快適な防水ジャケットや、石油化学の発達がもたらした軽くて頑丈なソリ、ブリザードに見舞われても気にならない三重構造のテント、衛星電話、GPS、肉や脂を固めて水分を抜き取ったおいしくてハイカロリーな食料。そういった時代の経過と社会の進展がもたらした恩恵が極地探検の世界を変え、私たちの旅はフランクリンの時代のそれと比べて、いく分、安全で快適になった。

 だが実際に旅をしてみると、この164年の間に旅の有り様を変えた、そのもっとも大きな原因を作ったのが、実はそうした便利で現代的な装備ではなく、たった一枚の地図であることに、現代の極地探検家は否が応でも気づかされる。

 衛星携帯電話やGPSがどんなに便利だといっても、それは所詮、今、この瞬間に役に立つ道具にすぎない。しかし地図は違う。この神保町の書店で購入したわずか2000円あまりにすぎない一枚の紙は、私たちを明日の世界へとつなげているのだ。

 地図があることで私たちはこれからの行動を予想し、明日、自分たちがどこに向かうかを決定できる。そして明日があることを、あと2週間耐えればスーパーマーケットでサラミやお菓子を買い込めることを、かなり正確に想像することができ、それにより安心を感じることができる。
 地図には空間的な次元における情報だけでなく、時間線上に広がる価値もまた含まれている。確かな未来が、少なくてもそう想像できるものが、地図の中には存在しているのだ。