第2回 キングウイリアム島――地図のない世界

 しかし1846年にキングウイリアム島の北の海峡にやって来たフランクリン隊は、島を東に回る正解ルートを取らず、リスクの高い西の海に船を進ませた。案の定、2隻の軍艦は氷に囲まれ、ついに1848年4月、船に乗っていた105人の隊員は――隊長のジョン・フランクリンも含めて、残りの24人はすでに死んでいた――船を放棄し、キングウイリアム島に上陸した。そして重いソリを引いて南を目指す途中で、最後のひとりに至るまでバタバタと死んでいったのである。

 彼らが島の東に船を進ませなかったのは、おそらくキングウイリアム島がブーシア半島と陸続きになっているという、J・C・ロス以来の誤った地理認識が頭にあったからだろう。フランクリン隊の船には1200冊もの蔵書が収められた立派な図書室があり、過去の探検記はすべて進行ルートを決めるための材料となっていた。

 だがジョン・ロスとJ・C・ロスの共著である『第2次北西航路探検記』にも、バックの『北極圏大陸遠征記』にも、シンプソンの『アメリカ大陸北岸発見記』にも、キングウイリアム島が島だとは書かれていなかった。島の東がブーシア半島とつながっているのなら、船を進ませても陸地にぶつかってしまう。だから彼らには西に進む選択肢しか残されていなかった。

 フランクリンの手元には信じるべき正しい地図がなかった。その結果、彼らの二隻の巨大な軍艦は氷につかまり、男たちは悲劇的な最期を迎えた。