第2回 キングウイリアム島――地図のない世界

 だがこの探検で、J・C・ロスはたったひとつだけ、キングウイリアム島の全体像について大きな勘違いをしていた。彼は自分が初めて到達したこの島を、キングウイリアム島ではなく、キングウイリアムランドと呼んだのだ。つまり、キングウイリアム島を島ではなく、ブーシア半島から西に出っ張った、北米大陸の一部であると思い込んでいたのである。

 J・C・ロスの後にこの地域にやって来た探検家たちも、この誤りを正すことができなかった。1833年から35年に当時グレートフィッシュ川――現代のバック川――と呼ばれた川を下り、キングウイリアム島の南のチャントレー入江に出たジョージ・バックの探検隊も、37年から39年に北米大陸北岸を東に進み、ブーシア半島の西の付け根までやって来たトーマス・シンプソンとピーター・ディースの探検隊も、キングウイリアム島を島とは考えず、ブーシア半島と陸続きだと思っていた。海と同じような平らな地形、白い雪に覆われた単調な景色、そして霧で視界が閉ざされる気象条件のせいで、J・C・ロスの誤認は訂正されずにそのまま生きのびた。

 この地理的な事実誤認は、結果的にフランクリン隊の派手な遭難劇を引き起こし、129人全員が死亡する要因のひとつとなった可能性が高い。

 1903年から06年に探検家ロアール・アムンセンが小型帆船ヨア号で成功させたように、北西航路をたどる正解ルートは、キングウイリアム島を東から回りこんで北米大陸北岸を西に航海するルートである。島の西側を回ると、北極海から大量の氷が押し寄せるため、船を動かせなくなる可能性が高いからだ。