近代における日本の経済成長が本格化したのは、西南戦争が終わった1880年頃。

「経済成長と合わせるように、人口も年率1%の割合で増加を重ね、1967年には1億人を突破します。ところが70年代に入ると、1960年代の高度成長期には10%と高かった経済成長率が、5%前後に落ち込み、さらに90年代には2%台にまで低下する。人口はまだ減少しないまでも、これに合わせるように、その増加が鈍っていきます」

 経済成長と人口。このふたつが、どのような因果関係を生んだのか。この人口増加が鈍った原因を、あらためて鬼頭氏に聞いてみた。

「かつての人口減少は、一般に死亡率が増えることで、出生率を死亡率が上回った。一方現代では、出生率が猛烈に低下したことが大きな原因になっていることは明らかです。少子化という言葉自体は、1990年に誕生した新しいものですが、出生率が減ることで次世代の人口規模を維持できる水準を下回り、現代の人口鈍化が始まったのは1974年。翌年には、日本人の合計特殊出生率、すなわち1人の女性が生涯に産む子供の数が2を割り込み、のちに言われる『少子化』が始まったと考えていい」

 この少子化の大きな要因を、鬼頭氏は「エネルギー問題」と見ている。きっかけは1973年のオイルショック。たとえばガソリンや灯油の価格が高騰し、町からはトイレットペーパーが消え、エネルギーが枯渇するという未来を、国民の多くが実感した。

「これは高度成長が一段落し、安定成長に移行した時期とも重なって、国民の将来への期待感が急速に失われた時期でもあった。エネルギーは足りない、永遠に続くかに見えた経済成長も鈍る。また公害問題もつぎつぎ浮上して、将来への暗雲が立ちこめ始めるのです。これまでも歴史が繰り返してきたように、将来を悲観する国民の心理が、人口増加に歯止めをかけたと考えることができるかもしれません」

その5 「出生率を増加に転じさせるのに足りないものは?」へつづく

鬼頭宏(きとう ひろし)

1947年生まれ。上智大学経済学部教授。専攻は日本経済史、歴史人口学。「宗門人別改帳」などの史料をもとに、縄文時代から江戸時代までの人口推移をあらためて明らかにした。著書に「人口から読む日本の歴史」「文明としての江戸システム」(ともに講談社学術文庫)、4月には「2100年、人口3分の1の日本」(メディアファクトリー)も刊行。


福光 恵(ふくみつ めぐみ)

1960年東京都生まれ。美術業界で働いたのち、フリーライターに。日経新聞プラス1「コトバの鏡」、アスキードットPC「自腹で大人買い」などの連載あり。

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