その4 開国で訪れた第4の巨大な波

「19世紀に入ると、寒冷気候がゆるくなり、人口は再び増え始めます。これが現代に続く、4つめの波の始まりです」

 文政の時代になると、物価が上がってインフレが起こり、国内経済が再び拡大路線を進むようになる。同時に人口も増加に転じていった。生まれたばかりの子供たちも、20年もすれば労働力となり、さらに次の世代の経済発展を支えた。労働者が多いため、賃金は上がらないが、投資には最適。「人口増加、物価上昇、投資増大」という3点セットによる、現代型の経済成長が起こった。

 同時に、人が生活する土地も広がった。コストをかけて海を埋め立てて干拓する、新田開発が活発化したからだ。こうした拡大路線に、さらに弾みをつけたのが1859年の「安政の開国」。つまり、320年もの長期間続いた鎖国に終止符を打ったことだった。

「鎖国のままならこのような人口増加は続かなかったはず。開国による、海外からの技術の輸入、エネルギーの輸入、農業用の肥料の輸入などが可能になったからこその、人口拡大でした。たとえば食料に関していえば、19世紀の終わりには米の生産が頭打ちになり、自給率が落ちてくる。大正期1920年代には米の自給率が85%くらいにまで落ち込みます」

 安政の開国時、3300万人だった人口は、明治の終わりごろには約5000万人に。自給自足がギリギリ回っていた江戸時代の人口と比べると、2000万人近くの食料が必要となった。干拓などによって土地を広げたり、技術改良によって生産を増大させるだけでは追いつかなくなり、日本は海外に、食料やエネルギーを求めるようになっていく。

「たとえば米でいえば、台湾や朝鮮が供給基地となる外米が、日本人にとって重要な食料になった。それとともに、ハワイへ、米国西海岸へ、ブラジルへ、南米へと海外移民送出を広げ、1930年代になるといよいよ満州開拓が始まります。そうやって日本は、つねに人口圧の回避と食料やエネルギーの調達のために、対外政策をしてきたのです」