その3 “貨幣”が人口を増やした

「経済発展とともに人口は増加し、発展が一段落して、その伸びしろがなくなると、人口は減少に転じる」

 そんな鬼頭氏の言葉の通り、経済発展を背景にした、室町時代からの人口増加も、永遠には続かなかった。ピークとなったのは江戸時代中期。

「1600年頃、日本の人口は1200万人から1800万人くらいと言われています。私の考えでは、1500万~1600万人というところでしょうか。ところがその後、江戸も後半に入ると、日本は3200万人もの人口を抱えるようになる」

 そしてここから幕末までの1世紀以上、この3200万人というところで、人口はピタッと止まってしまう。大きな原因は「少子化」だった。ちなみに江戸時代後半の生涯出生数は平均5人。ただし当時は子供の死亡率が今と比べて桁違いに高かった。5人生んだとしても、1人の男子の跡取りを残せるかどうか、微妙なところだったという。

 ではこの“少子化”はなぜ起きたのか。

「鎖国の日本では、食料もエネルギーも完全に自給。ここで人口の増減が止まったのも、当時は3200万人という人口が、日本列島の自給自足システムが許容する、最大限の人口だったためと考えられますね」

 食料とエネルギーの供給量に合わせて、人口は増減する。そんなパターンがここでも見て取れる。これに加えて、18世紀から19世紀にかけての江戸時代には「天明の大飢饉」など、大きな飢饉もたびたび起きている。気候は寒冷期に突入し、冷夏、日照不足、洪水など、農作物への災難も続いた。ただし、この少子化を招いたのは、そうした自然災害ばかりではない。

「1666年に『諸国山川の掟』という森林開発を制限する掟も幕府から出されていることからわかるように、江戸時代の人々はすでに、文明が招く環境破壊の意識、つまり今でいうエコの意識を持っていたと考えられます。飢饉など自然の力を目の当たりにした江戸の人々が、将来の明るくない展望と、環境負荷をかけたくないという心理から、無意識に子孫を増やすことにブレーキをかけた。そうして江戸時代の少子化を招いたというのも大きいでしょう」

 3200万人前後で人口が止まる停滞期は、鎖国が解かれる半世紀ほど前の文政の時代まで続く。

その4 「開国で訪れた第4の巨大な波」へつづく

鬼頭宏(きとう ひろし)

1947年生まれ。上智大学経済学部教授。専攻は日本経済史、歴史人口学。「宗門人別改帳」などの史料をもとに、縄文時代から江戸時代までの人口推移をあらためて明らかにした。著書に「人口から読む日本の歴史」「文明としての江戸システム」(ともに講談社学術文庫)、4月には「2100年、人口3分の1の日本」(メディアファクトリー)も刊行。


福光 恵(ふくみつ めぐみ)

1960年東京都生まれ。美術業界で働いたのち、フリーライターに。日経新聞プラス1「コトバの鏡」、アスキードットPC「自腹で大人買い」などの連載あり。