26万人いた縄文の人口が、8万人まで激減し、まもなく迎えた弥生時代。再び人口は増加に転じる。海の向こうから持ち込まれた稲作の技術が、全国に拡大。食料供給量がアップして、それに合わせるかのように、またたく間に人口を押し上げたのだ。

 そんな「正のスパイラルによって」、紀元前2300年から紀元前1000年までの約1000年間で、8万人まで落ち込んだ人口はおよそ8倍の60万人まで伸びていく。

 この縄文後期の人口減少期から、弥生時代の人口増加期にかけての人口カーブは、日本列島の人口変動に共通する黄金パターンと言うことができる。その後も、日本列島の人口の増加のポイントには、多くの場合、海外から持ち込まれた技術革新があったからだ。新しい技術や社会制度などが持ち込まれるたびに、文明システムが転換し、人口は増えていった。

 一方、そうした新しい技術が定着し、発展の余地がなくなると、人口は横ばいに転じるのが常。そこに気候変動などが起こると、一転、人口が減少していく。これが、日本の人口変動のひとつのパターンとなっている。

 稲作技術をきっかけに始まったこの人口増加も、その後奈良時代には500万人と順調に伸びていったが、平安時代の700万人をピークに再び減少期に入っていく。

 この減少の原因となったのは、社会システムの変動。 「それまで、ひとりひとりが朝廷に租庸調を収めることで経済が回っていた中央集権国家が、平安時代に入ると次第に形骸化していきます。と同時に、耕地の開発にブレーキがかかっていきました」

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