日本列島が、初めての大きな人口減少期を迎えた縄文期は、こんな時代だった。
「紀元前2300年のころ、日本には26万人が住んでいたと言われています。原始時代としては高度な狩猟採集経済を営み、限りある空間を最大限に利用していたと考えられています」
住居跡などから割り出してみると、日本の人口密度は狩猟採集社会としては、世界一高かったといわれる。ところが縄文時代も晩期に入ると、その人口が一気に減少する。それも26万人の人口が、8万人にまで落ちてしまう急激な減少だった。
原因は、気候変動で気温が下がり、食料供給量が激減したこと。クルミ、ナラ、トチの実……貴重な食料であったナッツ類が気温低下の影響を受けて激減してしまう。そして食料の供給量に合わせるように、人口はみるみる減っていった。
「この時代は、ほかに火山の噴火などの自然災害が、一瞬、大きく人口を減らしたこともあった。ただしこれは、地域的なものであって、列島全体の人口減少という波には結びつかなかった」
26万人といえば、東京ならほぼ墨田区の人口となる。これが日本列島全土を使って生活していたと考えると、かなりの余裕の人口密度と考えがちだが、
「当時の技術水準から見ると、すべての技術をフルに動員して増やせるところまで増やしたギリギリの人口だったんです。そんなときに、気候変動がやってきた。これが急激な減少の大きな原因となった」
パンパンに膨らませた風船が一瞬で割れるように、大きく人口は減り、人口曲線はひとつめのピークを描き始める。