その2 縄文時代、26万人でピークに

 中央集権の仕組みがゆるんで、国家が弱体化。農地開発にまで手が回らなくなったためとも言われる。

 「実際には、開発できる土地の余地は、まだこのときはたくさんあったと思います。ところがその開発が次第におこなわれなくなってしまう。そうして荘園領主は開発よりも寄進によって荘園を拡大するようになり、国からも国民からも、意欲が失われていった」

 そこへきて、平安時代には再び気候変動が起こる。今度は、温暖化だ。この温暖化によって、西日本はとくに乾燥が進み、水田などの水の確保が不安定になっていったという。弱体化した国家では、新たな農地灌漑をおこなう余裕もない。こんなふうにして、日本全体が、末法思想の広がりにみられるように未来に失望する停滞ムードに包まれ、人口停滞を招いていった。

 「この時代は、気候変動による飢饉や天然痘の大流行などの記録も残っています。ただし、本格的な人口減少を招いたのは、意外に、このような人の心理も大きかった。未来に希望を持てないという、心理的なブレーキと気候変動などの外的要因がセットになって、人口減少期に入る例は、このあとの時代も不思議と多いですね」

 こうして人口は、平安中期にブレーキがかかったまま、鎌倉、室町時代を迎える。これが日本の人口曲線の2つめの山となった。

その3「“貨幣”が人口を増やした」につづく

鬼頭宏(きとう ひろし)

1947年生まれ。上智大学経済学部教授。専攻は日本経済史、歴史人口学。「宗門人別改帳」などの史料をもとに、縄文時代から江戸時代までの人口推移をあらためて明らかにした。著書に「人口から読む日本の歴史」「文明としての江戸システム」(ともに講談社学術文庫)、4月には「2100年、人口3分の1の日本」(メディアファクトリー)も刊行。


福光 恵(ふくみつ めぐみ)

1960年東京都生まれ。美術業界で働いたのち、フリーライターに。日経新聞プラス1「コトバの鏡」、アスキードットPC「自腹で大人買い」などの連載あり。