第1回 ランカスター海峡――神話となった北西航路探検

ソリを引いて氷海上を歩く荻田泰永。
(撮影:角幡唯介)

 ランカスター海峡を越えた私と荻田はキングウイリアム島に向かって、ひたすら何もない氷海上を南に歩き続けた。重いソリを連日、距離にして25キロから30キロにわたって引いていると、いやでもギリシア神話に出てくるシーシュポスの気持ちがよく分かってくる。

 寒さで唇はただれ、足の感覚はなくなり、伸びたひげには冷凍庫の霜みたいな氷が張りついていた。氷点下30度以下の向かい風の中を行動したため、顔の皮膚は凍傷で黒くなり、夕飯の前にへらへら笑ってその皮膚の厚い残骸をはがすのが日課となった。空腹に悩まされ、今度シロクマが現れたら本気で撃ち殺すか検討しないといけないなあ、などという物騒な会話を交わすようになっていた。

 イヌイットたちの住むいずれの集落からも300キロ以上離れた氷の海は、あらゆる人間の息づかいから隔絶されていた。そこに現れたら私たちが一番驚くであろう動物は、まぎれもなく人間だった。

 北西航路には何もなかった。

 この北極圏の長い氷上行進で私が事実とした確信できたことは、唯一それだけだった。だが現地に行かなくても想像がつきそうな、この当たり前の事実は、もしかしたら重要なことだったのかもしれない、と今になって思う。