第1回 ランカスター海峡――神話となった北西航路探検

 だがそれから200年が経ったジョン・ロスの時代になっても、北西航路は探検家たちの胸を躍らせる冒険の舞台であり続けた。ノルウェーの探検家ロアール・アムンセンが1903年から1906年にかけて、小型帆船ヨア号で北西航路を世界で初めて通過した時も、北西航路は北西航路であり続けたし、ヨットを操る現代のシーマンにとっても、徒歩で北極圏を旅しようという私のような極地探検家気取りにとっても、北西航路は北西航路であり続けているのだ。

 北西航路の探検史は世界の他のどの探検史よりも、血なまぐさい出来事に満ちている。1611年にヘンリー・ハドソンは、後に自分の名前がつけられたハドソン湾の一角で越冬した後、隊員たちの反乱に遭い、自分の子供と7人の仲間とともに置き去りにされた。彼らのその後の消息はまったくわかっていない。

 同じくハドソン湾に向かったジェンズ・ムンクのデンマーク隊は、壊血病と思われる症状で、ムンクら3人以外の全員が死亡した。1719年にはジェームズ・ナイトという人物が2隻の船と40人の男たちを率いてハドソン湾に向かった。彼らは二度とイギリスに戻ってくることはなかったが、1740年代に探検家サミュエル・ハーンが地元に住むイヌイットから、ナイト隊の印象的な最後の姿を聞き出している。彼らは船がやって来ないか、来る日も来る日も水平線の彼方を見つめていたよ、と。

 そして1845年、北西航路の発見を期待されて、そしておそらく本人もそれを確信してロンドンを出港したジョン・フランクリンの探検隊129人もまた、生きて故国の土を踏むことはなかったのだ。

2011年9月号特集「栄光のレースを制した探検家 アムンセン」
北西航路を初横断したロアール・アムンセンの、南極初到達やその後の人生を紹介しています。ぜひあわせてご覧ください。Webでの記事の紹介は こちら。