第1回 ランカスター海峡――神話となった北西航路探検

イギリスの探検家、ウィリアム・エドワード・パリー(1790~1855)。北西航路の探検隊を三度、北極点遠征隊を一度率いた。
Library and Archives Canada

 ロスの代わりに英雄となったのが、ロスの探検隊に副官として参加したウィリアム・エドワード・パリーだった。パリーはロスが主張したクロッカー山など実在しないと断言し、1819年から1820年にかけて、次の北西航路探検隊を自ら率いた。ランカスター海峡に再びやって来たパリーは、そこにクロッカー山がないことを改めて確認した後、そのまま海峡に沿って西に船を進ませた。そして約1千キロにわたって新しい地図を描き、後世の歴史家に「最も実り豊かな極地探検のひとつ」と称賛される旅を行った。

 その後も北西航路の探検隊を二度、北極点遠征隊を一度率いたパリーはナイトの称号を与えられ、パリーではなくパリー卿と呼ばれるようになった。

 ロスやパリーが発見を目指した北西航路の探検は、もともと経済的な要請から15世紀の終わりにはじまったものだった。南米のマゼラン海峡、アフリカの喜望峰を、それぞれスペインとポルトガルに押さえられていたイギリス、フランス、オランダなどの西洋諸国は、マルコ・ポーロの本に登場した「カタイ」の国、すなわち中国との貿易路を確保するため、北米を北から回りアジアへ通じる航路の探検に乗り出した。

 だが数世紀にわたる努力と無数の人間の命という代償を支払った末に分かったことは、カナダ北部の群島部は島や入り江、岬が入り組んだ極めて複雑な地形になっており、仮にどこかにアジアに抜ける海路があるとしても、それはほとんど一年中氷の張った、商業航路としては役に立たないものであるということに過ぎなかった。
 加えてイギリスは国力を増し、旧勢力である南欧国家を軍事力で圧倒するようになった。北西航路を探検する現実的な意義など、17世紀にはすでに失われていたのだ。